2025/7/15
伯父が住む茨城県石岡市八郷に向かう。ここには「つながる図書館」という私設の図書館があって、参加者が棚ひとつのオーナーになって選書された本が並ぶ、イベントをしたり、キッチンもあって食事をしたり、コミュニティスペースにもなっている。そこに伯父の勧めでFCTを紹介する棚を開くことになり「歩くこと」に関する本を並べる、その搬入作業をしてきたのだった。北関東に位置する地域住民はみな東京への強い引力が働いて、なかなか福島には目を向けない、ところが向きを変えれば、勿来にあるトレイルの入り口まで車で一時間でいって、すぐ歩きはじめることができる。さらにここにはアメリカの3大トレイルを日本人で最初に歩ききった舟田くんが住んでいて、ここでイベントでもすれば東京からも福島からも人が集まる中継地点になる。暮らしの実験室に行って舟田くんに再会。おしゃべりして、農場も案内してもらった。ニワトリや豚。愛犬のポポが砕けたきゅうりで遊んでいる。遊び道具、友達がきゅうりという素朴さに打たれる。
2025/7/13
せいじと後藤君と村瀬さんがハイエースで迎えにきてくれる。車の中はみんな参政党のはなし。よくわからないまま東松山のヴィンテージ家具屋にいく。せいじが払うというので、何十万もするハンス・ウェグナーのソファーベッドを買う、なるほど事情はのみこめたが、唐突なことと、ソファーベッドの金額にたじろぐ。補修は今現場でできる最低限の応急処置を施して、ハイエースに乗ればいますぐもって運ぶ、そしてそのまま軽井沢に搬入。すごいことになった。帰りは事故渋滞で、せいじは曾我部さんを迎えにいく飛行機に間に合わないかもしれず青ざめていたが飛行機が遅れたおかげでなんとかなった。
2025/7/12
東京にいる。数日体調がいい。ハルカとイセキと岡山からきて一月ぶりに会うさきちゃんがいる。
東京をあるきまわって、ごみ箱をさがしてさまよう若いイセキとハルカは兄弟みたい。古着屋に入ると店員から家族ですかと間違えられた。それが楽しい。中野坂上の韓国屋台ポチャで食事。ここのポッサムと感動の再開。ナクチも驚きのやわらかさ。イセキもさきちゃんもわたしの知らない自由さをもっていて、東京をすいすいいくのが似合う。
2025/7/8
朝、変な時間に家の前の草取りをはじめたらもどって動けなくなってすぐ寝た。起きたら元気になって仕事再開。変な体調。素麺食って打ち合わせ。ずっとクーラー。夜は双葉で出張結のはじまり、久しぶりにあうひとたち。まいこさんの「大丈夫、わたしメンタル以外は元気だから!」という力強い宣言が、どういう状態なのかわからないけどすごい。
2025/7/7
日曜。だめだ体調がよくない。テレビの音が鳴っている。クーラーの中で外が遠い。無気力。このままではハルカに呆れられてしまう。ハルカとサラータイいったらあきおくんとたえさんがいてこれから歩くこととアートの連携、協力のはなしした、弱っていたので元気でた、頼もしい人。みなみから写真喜んでくれたメッセージきた、弱っていたので元気でた。サラータイは食い過ぎないように気を付けて半分残して持ち帰り。サラータイのママに胃を気遣ってもらう。蝉が啼き始めた。道の両側から草が、樹々の緑が全力で迫ってくる。怖い。地球生命全重量の99.7%を植物が占めるのだという、たった0.03%が動物(ユビキタスにでてきた)。
ヘルツォーク「自然は地獄だ」の言葉思い出す。これがわたしの世界観。
2025/7/6
年に二回ある大事な会議が終わり、しばらく胃の調子が悪くて布団の上で考えが狭まっていって出口がないまま寝返りを打ち続けて苦しむ。こないだ百年祭実行委員で出会った人が話してみると本好きで、しかもめずらしい小説読み、海外の古典も読んでいて守備範囲が広く、うれしくて酒が進んでしまい翌日から胃がこうなった。本好きに出合えるめずらしさは、それは相手も同じだった。鈴木光司の新作を教えてくれた。胃は良くないがなんとか末続にいって安東量子さんとフランスからきたクリストフと会っておしゃべり。末続の海を歩き、安東さんは岩からジャンプして着地に失敗。
2025/7/2
午前中はみなみの依頼でコトハナの取材撮影、部屋は大きな窓から富岡の樹々の緑がぎっしり入ってくる。いい話がきけた。言いたいことに合わせた言葉をなんとかひねりだそうとして、宙に目を向けて考えながら話している人の表情が好き。
午後は山元町に移動、MTCの地域連絡会のエクスカーションに参加。国道歩きしながらおしゃべり。帰りの車、ラジオ。明日はやっと家にいられる。
2025/6/30
たいへんな日々だった6月が終わろうとしている。
3日間東京アウトドアショーのイベントに出展。中野坂上の部屋で4人で合宿生活。多くの人がふくしまのトレイルに関心を持ってくれて手ごたえあり。幕張メッセはすごい人で椅子は埋まっているので、ハルカと階段にようやく腰をおろしてカレーを食べた。会期を終えて撤収の荷物を車に運び込んで夕暮れ前の夏の駐車場に座り込むと、まるくんはハルカのシューズをリペアしていて、まだ蝉の声がきこえず、みな疲れた表情で、しばし無言。立てなくなった。
2025/6/25
しばらく日記休んでいた。昨日はアメリカ帰りのイセキが家にきて飯食って話した。イセキの体験してきたトラッカースクールの話とか楽しくきいてる一方で、こちらは何を話したのだろう、これだけ6月はいろんなところをいったりきたり走り回って、慌ただしく時間にぎっしり中身が詰まっていた日々だったのに、言葉にして話すことがひとつかふたつくらいしか浮かんでこない。これは、これまでそういうことはなかった。
いくつか要因が浮かぶ、本や映画や音楽を摂取していないから考える機会がないこと。もうひとつはここの日記を書いていなかったこと。日記を書いて言葉にすることが人と会った時に話す話題の項目になっていたこと、自分の中でも考える結びめを作っていたのではと、これは日記を休んでいたから気づいけたことで、あぶないなと思って、こうしてまた書き始めてみることにした。