2025/10/30
わたしはこれまで44年生きて一番社会に密接に関わって責任ある立場にありながら、もっとも酒に溺れている。現代音楽の話をしながら、KPOPをきいてTWICEに感心しきり、藤井風がまだわからないなあと思いながら、ポップの凄みを味わいたくて、仕事をさぼって、これまでなぜか聞かず嫌いだったカーネーションを聴いている。
わたしはモノを売りたい。気持ちよくモノを売りたい。それもできればたくさん売りたい。金銭のやりとりを通して、気持ちよくありがとうとみなさんにお伝えしたい。
2025/10/30
天気予報が変わった、あほになりたい。
大学の写真部の先輩に楢葉町の海の前でバッタリ再会。偶然パワー大爆発
2025/10/29
水村美苗の新刊、朝起きて小説読む。昨日はとまっていた写真集のメールをほぼ一年ぶりに送った。相澤さんの娘のニコがFCT歩きにきて一緒にあるいた、マンガ、音楽の話、彼女は就職活動はしないときっぱり決めていて、早稲田の同級生で同じような人はいないという、彼女は音楽のゼミをとっていて、クセナキスの名前がでてくる。ふたりで「非物語」という言葉を使ってハイキングの話もした。風間さんと天神岬のアウトドアフェスで3人で話して、ニコが漫画を描いてるその制作の話をきいて風間さんは心からうらやましそうにした。だけどそれはほんとうは誰でも今からはじめられると坂口恭平に励まされたので、朝が早起きになる。
2025/10/6
苦しんでいた撮影案件も一区切りをつけ、昨年からみんなで準備を進めてきたハイキングパスポートも販売にこぎつけ、ハイキングイベント連日の二日間も終わった。起きたら雨が降っていて、何をしようか、今日だけは休もうと、XGのGALAのMVみたり。服を着替えたり、親の写真に線香をあげる。イベントの帰りに楢葉の担当者の風間さんが柳美里さんの本屋「フルハウス」でスタージョンの「夢見る宝石」を買っていて、自分もスタージョンが大好きだからうれしくていまamazonで注文。メール返信。速水健郎のポッドキャストでスタバの話きいたり、ラーメン二郎と官僚制っていうタイトルのやつ。国税調査の回答。
2025/9/17
自分の昔からある感覚。自分と世界の間には膜みたいな層で隔てられていて、世界の、社会の、ものごとを直に感じられず、どこか遠い、他人事のような、真っ当に受け入れられず、なにか起きても感情が出来事に追い付かないようなところがずっとある。では直接世界に触れるとはどういうことか、それが、写真や映画や音楽など、表現行為を経由してようやく獲得できるような、表現はそのような世界を測る定規のような役目があって、媒介にすることで、「わかる」と思える瞬間があって、追いかける。それもトイレに置いてあるゴッホの手紙のこの一文。
「デッサンするとは、、、感じられることとなしうることのあいだにある眼に見えぬ鉄の壁を通り抜けるような仕事なのだ」。
2025/8/25
百年祭前夜祭、本祭、桧枝岐村出張取材とほぼ死んだ。帰ってからも落ち着かず、バタバタと各所に連絡とりながら、とりあえず夏休みに設定してい時期がせまってハルカと電車に乗り込む。落ち着かない精神を酒でまぎらす日々。桧枝岐でまたたばこ復活。東京に向かう電車。大叔父の英米文学者橋本福夫著作集を持参。はじめて大叔父の顔写真をみた。堀辰雄と写ってる写真もある。じいちゃんによく似ている。文章を拾い読みしてようやくおじさんのひととなりを垣間見る。東京についてハルカと回転ずし食う。期間を限定しないとこんな生活続けられない。
2025/8/4
東京へ。三鷹のルノアールにて、ハルカのお父さんに大事なお知らせ。その後移動して三鷹のジンギスカン「橘」。ここではるかの弟の総太くんと妹の菜々子さんとはじめまして。みんなで写真撮る。家族で写真を撮るということがうちの家族では一度もなかった。レモンサワーが効いた。それからマンションにお邪魔して、亡きお母さんの仏壇に手をあわせる、昔の写真など見せていただく。去り際にあらためて大事なお知らせ。みな祝福してくれた。翌日は新宿歌舞伎町の王城ビルにて「ゴダール展」。体調いまいちながら、久しぶりに意味をはるかに通り越したさわやかな風を浴びる。同時に遠くに自分が行ってしまった悲しみが身に染みてきて、いまいちどたぐりよせねばならないと決意。すぐそばの銀だこでタコ焼きとハイボール。枯れた貝塚伊吹。
2025/7/31
昨夜は涼しかった。冷房を切って窓をあけた。カメムシが入ってきた。光のまわりをぐるぐる回転するカメムシを分厚い雑誌で思い切り叩き落す。夕方までバタバタと仕事のやりとりして家に戻るとイセキとさきちゃんと建築士の試験を終えたばかりのみゆちゃんとハルカがタコスの準備をしている。みんなで散歩に出てビール飲みながら帰ってきて準備が整うと、タコスを食べ始める。焼いたタコスの記事を手のひらに置いて、カルタニス、ワカモレ、サルサ、パクチー、玉ねぎのみじんぎり、その上にライムを振りかける。コーラをウィスキーで割る。何枚食べても飽きないが、胃袋に限界が早いのが残念。和室でみんなでゴロゴロして、夏虫の声をきいて、今夜もカメムシを叩き落す。
2025/7/30
もう30日。広野町外回り、ならはCANVASで選挙演説みる。それからKIYAさんで買い出しして小高の粒粒へ、かおりさんは先についていて、りかさんとゆうしくんが笑顔でむかえてくれる。同世代の4人で料理をならべて飲むというめずらしい時間。図に乗ってぺらぺらと調子よく話す。水1.5Lのペットボトルを用意して飲むから自分だけが何度もトイレにいく。40過ぎるといろいろある。でもそれが生きる味わいとなって、顔に刻まれていくだろう。安息の地はどこにもない。それはカリフォルニアでも同じである。と渋谷陽一がいっていたらしい。
2025/7/28
朝目が覚めると色々考えて寝られないので、携帯の音を最小にして左耳に当ててラジオをきく。伊集院のラジオ。お笑いがM-1をはじめとした賞レース化するとエモな人間ドラマが入り込んできてお笑いの質が変わった。伊集院としてはずっと違和感があった、しかし大事なのはその方が視聴率が上がるということ(そこを強調していた)。お笑いのスポーツ化。
連想して考えることは歩くことと、走ることは思った以上に違う。
そして競技性がある方が人々にはわかりやすいし、熱中して衆目も集まる。トレランはトレランの良さがあって、何よりこないだレースの撮影に初めて参加して山の中で限界に挑む選手の表情には圧倒された。それを認めた上で、歩くことの良さや大切なところを、競技から遠く離れて考える必要あり。
2025/7/22
もう22日なのか。福島の磐梯山~吾妻連峰~安達太良をつなぐボルケーノトレイルのレースの大会を取材三日間から帰ってきて日本酒飲んでる。このエリアの風景のすごさ、素晴らしさに感嘆しながら、しかしこのレースのやりかたどうなんだろうとモヤモヤしながら撮影。走るレースじゃないので楽しんでほしいといいながら過酷すぎるルール設定。選手は睡眠削って死に物狂いで前に進んでるのをみて、この欲望とはなんなのだろうと思う。車の行き帰りでバラカンラジオのブライアン・ウィルソン特集。一度でもあの声を生でききたかった。
2025/7/15
伯父が住む茨城県石岡市八郷に向かう。ここには「つながる図書館」という私設の図書館があって、参加者が棚ひとつのオーナーになって選書された本が並ぶ、イベントをしたり、キッチンもあって食事をしたり、コミュニティスペースにもなっている。そこに伯父の勧めでFCTを紹介する棚を開くことになり「歩くこと」に関する本を並べる、その搬入作業をしてきたのだった。北関東に位置する地域住民はみな東京への強い引力が働いて、なかなか福島には目を向けない、ところが向きを変えれば、勿来にあるトレイルの入り口まで車で一時間でいって、すぐ歩きはじめることができる。さらにここにはアメリカの3大トレイルを日本人で最初に歩ききった舟田くんが住んでいて、ここでイベントでもすれば東京からも福島からも人が集まる中継地点になる。暮らしの実験室に行って舟田くんに再会。おしゃべりして、農場も案内してもらった。ニワトリや豚。愛犬のポポが砕けたきゅうりで遊んでいる。遊び道具、友達がきゅうりという素朴さに打たれる。
2025/7/13
せいじと後藤君と村瀬さんがハイエースで迎えにきてくれる。車の中はみんな参政党のはなし。よくわからないまま東松山のヴィンテージ家具屋にいく。せいじが払うというので、何十万もするハンス・ウェグナーのソファーベッドを買う、なるほど事情はのみこめたが、唐突なことと、ソファーベッドの金額にたじろぐ。補修は今現場でできる最低限の応急処置を施して、ハイエースに乗ればいますぐもって運ぶ、そしてそのまま軽井沢に搬入。すごいことになった。帰りは事故渋滞で、せいじは曾我部さんを迎えにいく飛行機に間に合わないかもしれず青ざめていたが飛行機が遅れたおかげでなんとかなった。
2025/7/12
東京にいる。数日体調がいい。ハルカとイセキと岡山からきて一月ぶりに会うさきちゃんがいる。
東京をあるきまわって、ごみ箱をさがしてさまよう若いイセキとハルカは兄弟みたい。古着屋に入ると店員から家族ですかと間違えられた。それが楽しい。中野坂上の韓国屋台ポチャで食事。ここのポッサムと感動の再開。ナクチも驚きのやわらかさ。イセキもさきちゃんもわたしの知らない自由さをもっていて、東京をすいすいいくのが似合う。
2025/7/8
朝、変な時間に家の前の草取りをはじめたらもどって動けなくなってすぐ寝た。起きたら元気になって仕事再開。変な体調。素麺食って打ち合わせ。ずっとクーラー。夜は双葉で出張結のはじまり、久しぶりにあうひとたち。まいこさんの「大丈夫、わたしメンタル以外は元気だから!」という力強い宣言が、どういう状態なのかわからないけどすごい。
2025/7/7
日曜。だめだ体調がよくない。テレビの音が鳴っている。クーラーの中で外が遠い。無気力。このままではハルカに呆れられてしまう。ハルカとサラータイいったらあきおくんとたえさんがいてこれから歩くこととアートの連携、協力のはなしした、弱っていたので元気でた、頼もしい人。みなみから写真喜んでくれたメッセージきた、弱っていたので元気でた。サラータイは食い過ぎないように気を付けて半分残して持ち帰り。サラータイのママに胃を気遣ってもらう。蝉が啼き始めた。道の両側から草が、樹々の緑が全力で迫ってくる。怖い。地球生命全重量の99.7%を植物が占めるのだという、たった0.03%が動物(ユビキタスにでてきた)。
ヘルツォーク「自然は地獄だ」の言葉思い出す。これがわたしの世界観。
2025/7/6
年に二回ある大事な会議が終わり、しばらく胃の調子が悪くて布団の上で考えが狭まっていって出口がないまま寝返りを打ち続けて苦しむ。こないだ百年祭実行委員で出会った人が話してみると本好きで、しかもめずらしい小説読み、海外の古典も読んでいて守備範囲が広く、うれしくて酒が進んでしまい翌日から胃がこうなった。本好きに出合えるめずらしさは、それは相手も同じだった。鈴木光司の新作を教えてくれた。胃は良くないがなんとか末続にいって安東量子さんとフランスからきたクリストフと会っておしゃべり。末続の海を歩き、安東さんは岩からジャンプして着地に失敗。
2025/7/2
午前中はみなみの依頼でコトハナの取材撮影、部屋は大きな窓から富岡の樹々の緑がぎっしり入ってくる。いい話がきけた。言いたいことに合わせた言葉をなんとかひねりだそうとして、宙に目を向けて考えながら話している人の表情が好き。
午後は山元町に移動、MTCの地域連絡会のエクスカーションに参加。国道歩きしながらおしゃべり。帰りの車、ラジオ。明日はやっと家にいられる。
2025/6/30
たいへんな日々だった6月が終わろうとしている。
3日間東京アウトドアショーのイベントに出展。中野坂上の部屋で4人で合宿生活。多くの人がふくしまのトレイルに関心を持ってくれて手ごたえあり。幕張メッセはすごい人で椅子は埋まっているので、ハルカと階段にようやく腰をおろしてカレーを食べた。会期を終えて撤収の荷物を車に運び込んで夕暮れ前の夏の駐車場に座り込むと、まるくんはハルカのシューズをリペアしていて、まだ蝉の声がきこえず、みな疲れた表情で、しばし無言。立てなくなった。
2025/6/25
しばらく日記休んでいた。昨日はアメリカ帰りのイセキが家にきて飯食って話した。イセキの体験してきたトラッカースクールの話とか楽しくきいてる一方で、こちらは何を話したのだろう、これだけ6月はいろんなところをいったりきたり走り回って、慌ただしく時間にぎっしり中身が詰まっていた日々だったのに、言葉にして話すことがひとつかふたつくらいしか浮かんでこない。これは、これまでそういうことはなかった。
いくつか要因が浮かぶ、本や映画や音楽を摂取していないから考える機会がないこと。もうひとつはここの日記を書いていなかったこと。日記を書いて言葉にすることが人と会った時に話す話題の項目になっていたこと、自分の中でも考える結びめを作っていたのではと、これは日記を休んでいたから気づいけたことで、あぶないなと思って、こうしてまた書き始めてみることにした。