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2024/10/13

福島ダイアログ。FCTもパネル展示。大量の言葉を浴びて疲労。バランスを調整するように、会場を出ると浪江の夕暮れを散歩。欄干の錆びた橋の下を秋の草が容赦なく埋め尽くす。日が落ちた。翌日は3連休の最後。やる気が起きず、ハルカの持っているユーリー・マムレーエフの「穴持たずども」という謎小説をパラパラ。「ここに生い茂る木々は(中略)ただ濁った人間的頽廃やら悲嘆やらで内側から輝いていたのだ。それはもはや草ではなく、切り落とされた人間の魂だった。」という描写に妙にリアリティを感じて。特に今日みたいな何もしないで、何も感じようとしない一日には。

2024/10/10

今朝も早く目がさめてしまった。雨の日ばかり続いてようやく太陽がでて日差しが部屋を満たしているが、その光景をのんびり味わう余裕もなく、朝から晩まででひたすらミーティング。まったく余裕がないがまわりで手伝ってくれる仲間はみんな元気そうで、つらそうにしているわたしを励ましてくれる。こないだはみんなで家でタコス作って食べた。全ての具材を手作りでこんな食い物があるのかと驚いた。溜まった仕事のストレスが狭い穴から吹き出すようにおかしな酔い方をした。最年長だった

2024/10/04

やらねばならないことを考えて数え始めるとどこから手をつけていいかわからなくなって混乱して、脳からあふれだしてきてパニックみたいになり部屋の中をいったりきたりしてしまう。ひとつひとつ細かいことを積み重ねて地道に進んでいくしかない。その考えだけに勇気づけられる、とはわかっているが、時間が許してくれない。そんな最中でハルカが読んでる「すべての雑貨」という本が面白そうで、ハルカの口から工藤冬里やハナタラシの名前がでてきて賑やかで楽しい、橋本さんとお喋りして野菜をいただいた。図書館にやっと本を返せた。

2024/10/03

​東京に来ないとダメだ。ロイホでワイン飲みながらメールを返信して、出るころにはフラフラした東口から南口を歩いて西口にでるとハルカと別れて、見上げるともう小田急がなくなっている。疲れて、胃がずっとおかしいが、すぐ眠ってしまう。朝、時間に余裕をもって車を出して、前橋で椅子の撮影。川面に落ちて風に揺れる柳の長い枝をが濃い影をつくった。軽井沢で朝、天気はよくなくて気温は下がった。みなで小浅間をめざして歩き、足がもつれる中林さんは途中で引き返した。大谷を好きな人と大谷に無関心な人で大きく意見が別れた。隙間を埋めようとしたのだが、それは本人がこれまでどう生きてきたかで大きく偏るので、簡単にはいかない。

2024/9/30

もうこの場所がNPO設立に向けたグチの掃きだめみたいなところになっているが、もうそれでいいよ。福島民友さんのトレイルイベント終わり。天気よくなって海がきれいで、100人ほどの人が防潮堤を歩いていく様は非日常というに十分なだ光景だった。翌日は楢葉のフットパスイベントのコース決めでハルカと楢葉町担当の風間さんと天神岬のまわりを周遊。とにかく風間さん最高。今後に向けて希望のもてる話をしながら、西日が海の飛沫に光るいい時間をいっしょに過ごせた。翌朝は東京へ。いまロイホでワイン飲みながらメールを乱れ撃ち、もうどうにでもなれ!

2024/9/20

とうとうならは百年祭前夜祭(後夜祭)が終わり。松明の火に導かれ、赤ふんどしと鮭に扮して鮭を遡上。この時だけは社会の秩序は後退して、自然の野蛮な世界が口をあける。むこうの世界がこちらがわに流入、まだまだこんなもんじゃない、世界は単純ではないのだ。その翌日から丸くんがきてサーフィンツアー、森くんのヤドリギが雨漏りで長期休業を余儀なくされて大変なことに。地方はいろんなことがありすぎる。朝起きてもあたまのなかをハエみたいに考え事が駆け回って騒がしい。頭がおかしくなる。最近大熊役場の元職員が楢葉の自宅に火をつけたらしい。他人事とは思えない。藤原新也「東京漂流」パラパラ読む。深夜の東京、芝浦の工場倉庫脇で食肉加工場に運ばれる豚の鳴き声、そんな殺伐とした情景が妙に懐かしく、都市が甘く匂いたつようで、気分がすこし軽くなった。

2024/9/11

仕事いろいろ断って、ふくしまに集中。やけくそ、やるしかない。事務作業いろいろリハビリ。昼は近所にできたカフェりあんへ。近所にこんな場所ができてうれしい。夜はタカちゃんがシャケ作業しにきてくれて、森くんもコンビニのうどん買ってやってきた。みんながだべってる背景で久々シンセ音出し。長いこと悩まされたミキサー通すとなぜかスピーカーの片方からしか音出ない問題が解決。

 

2024/9/8

延期になった百年祭の前夜祭あらため後夜祭・鮭の遡上のための鮭の被り物づくりでみなが我が家に集まっておしゃべりしながら手作業。

自分の身の回りの仕事がほどよくあって、余裕をもってのんびりと地方で過ごしている若者がどこにも見当たらない問題。とにかく誰もが忙しそうにしていて、すこしでも隙をみせると、そこに頼まれごとが侵入してきて、親切心もあって安普請しているとあっというまに時間が無くなって手詰まりになる。方々から人手不足の話をきくようになった。自分に余裕がなくなると他者を思いやることができない。顔をみせない彼はどうしているのか、いきなり電話してみたら出た。電話の向こうで風呂に入ってるみたいに声が響いた、元気そうではないが声がきけてよかった。

2024/9/6

家掃除、新しい洗濯機で洗濯、メール送信、電話連絡。かつてのハルカの上司の宮下さんがいらして家で食事会。わたしの実家の川崎市宮前区の土橋で同じ小学校出身でもある小倉美恵子さんという映画監督がいて、ハルカも宮下さんもいっしょに仕事したことがある。その方が写真家の藤原新也と梶ヶ谷でトークイベントをするそうだ。藤原新也といえば宮前平で起きた金属バット事件の現場になった住宅を撮影した写真が有名だ、それを当時中平宅馬が論じた。80年代東京郊外の人工的な空間を舞台にした、時代を象徴する事件だった。このイベントにわたしがいかなくて誰が行くのだろうか。
「わたしたちは過去を忘れがちだが、過去はわたしたちを忘れない」。

 

 

2024/9/4

東京でロングトレイルミーティングというトレイルのシンポジウムにみなで参加。ハイカーに似つかわしくない大手町の読売ホールにて。名刺交換。しんさんとだべって、北海道の写真が好評だったことと、ハルカの地図のイラストが好評なのが良かった、いやしかし午前中から打ち合わせと準備、本番ではお客さんと喋りっぱなしで後頭部から首にかけて重苦しく慣れないことの連続、会の終わりを待たずに失礼して、都心でも夜遅くまでやってる店は少なく、松屋でカレーを買って帰る。翌朝はハルカの実家に洗濯機をとりにいく。帰りの車内、ゴッホの古靴の絵のパロディで、履きつぶしたハイキングシューズを描いてはどうかと提案。秋の空気。

2024/9/1

酒飲んで寝るからか、夜中に目が覚めて、目が覚めると送らなきゃいけないメールとか内容が頭に浮かんできて考えてしまって、すぐ眠りに戻れなくなる。そのうち空が白み始めると虫が鳴きはじめる。こういう目覚めのキレの悪い朝が続いているうちに9月になってしまった。前代未聞の夏。

移住サポーターとして参加者をサーフィンツアーで岩沢に案内。大学三年生の若者がひとりで申し込んで京都からやってきた。朝ハルちゃんは東京に向かうので、いきなり彼と二人きりになって、海岸でサーフィンする謎の状況。風でわたしの声はかきけされ、彼はあまり休憩をとらずに黙々と初めてのサーフィンを続ける。何を話せばいいのか最後までよくわからなかった、進路に悩む就活生、とにかく頑張れ。背中を見送って、午後はエアコンの工事立ち合い。

 

2024/8/28

朝起きるのがつらい。台風が遅い。午前中にメールをいろいろ送信、写真編集、請求書送信、フュージョンでハンバーグ。洗濯機が調子が悪いのでコインランドリーでまとめて洗濯。ハルカは取り壊される予定の家屋の記録。わたしは久しぶりに岩沢の海岸でサーフィン。水温が冷たくて体が冷えた。それでも波に運ばれる喜び。帰ってシャワーを浴びてあたたまった。冷蔵庫からレモンサワーのロング缶を出して飲みながら、ゴーヤのサラダをつくった。まるくんから電話がかかってきて、オーストラリアからサーフボードのシェイパーをしてるという友人が東京に来ていて、楢葉の岩沢荘の健太郎さんとは旧知の仲だとか、偶然パワーが大爆発。amazonでツインピークス。

 

 

2024/8/25

やっと帰ってきた。8月は出張と百年祭で毎日が非日常の連続で疲れた。

その合間にもアメリカ大統領選やウクライナがロシアの領域で戦果をあげたり、イスラエルは相変わらずだし、豪雨は日本各地で被害を出す、それらが忙しい時間に携帯の画面上で流されていくのを眺める余裕すらなく、ラーメン屋の新聞で甲子園の決勝が終わったのを知った。つけ麺食ったら胃が重くなって寝込んだ。こうして夏が終わるのかと、虫の声もだいぶ変わった。静かな飯が食べたくて、夕方から立ち上がり、あじの干物焼いた。​

2024/8/22

高松での四日間が、もう帰るだけの最終日。飛行機まで時間があるのでビールを飲んでいる。丹下健三の船の体育館は解体を免れぬと弔いのムードの中、10年のあいだ保存活動を牽引してきた河西さんはしかし、悲壮な顔はせずこういう活動がひとつの事例として今後に活かされていくだろうと、前向きな気持ちでシンポジウムは締められた。会場から見下ろせるSANNA設計の新しい体育館の白い屋根の曲線が、海とともに夕暮れに消えていく。
来年は瀬戸芸あるし、また遊びにこよう。酔った。

 

2024/8/21

前の日記にガラス越しに周囲を眺めてるみたいに人の話を聞いている云々と書いたけど、それはそのまま写真を撮るというのはそういうことなのだと、今、高松出張の最中、うどんを食いながら気がついた。わたしはカメラを間に挟んでこれまでガラス越しに世界を眺めることを仕事にして生きてきた。そして移住を機に、よいしょっとガラスの向こう側に身を移してみようとしたわけだ。それは「他人事」から「当事者」になるわけだから、直接受ける風は、想像以上に激しい。どうりで耐性がないし、苦しいわけだ。そうかそうかと、だからどうということのない納得をしてひとり苦笑、うどん食う。

 

 

2024/8/19

ならは百年祭が終わった。まったく自分の意志を置き去りにしたまま二年続けて実行委員になった。今年はLINEで監事になってくれといわれてそれはヤクインというらしい。だから会長と町長に挨拶に行ったりラジオに出たり、本番では本部に待機する必要もあった。ギリヤーク尼崎さんの表情や、百年踊りで昌宏さんが歌の出だしをつまずいたり、酔って横に揺れる会長の笑顔、夜になって祭りの光に引き寄せられる大量のカメムシ等、夢に出てきそうなシーンが脳に焼きついた。言葉はまだないが、楢葉町民として誇りに思える時間、そういう祭りだ。ハルカとちゃりを引いて歩いて帰った。11時前。疲れた。最後のとどめというように、ふくらはぎを蚊に刺された。シャワーを浴びて布団に横たわった。明日から高松へ出張。

 

 

2024/8/9

 

とにかくわたしには意見がなく、議論を横で聞いていても、なるほどそう考えるのかと感心しながらも、どうやら自分の根本に欠落があるせいか、ガラス越しに眺めるように他人事なのだ。どうしたものか。台風がいびつな進路をとって東北を縦断する。海は大荒れで、移住サポーターのサーフィンツアーは延期、ほっとして力が抜け、帰りの電車を予約。お盆で人が溢れる東京駅。映画をみはじめてもすぐにやめてしまう。車のドアでこめかみを打ち、ピアスもなくした。

 

2024/8/8

 

北海道出張撮影一週間。湿った南風が吹き続けていっこうによくならない天気の中、つかのまの晴れ間を求めて悪戦苦闘するうちに矢のように時間が過ぎて、一週間と言えばいろいろあったわけだが、思い出す光景といえば、宿の風呂の脱衣場でじいさんがドライヤーを股間に向け、白髪でふさふさの陰毛を丁寧に乾かしている立ち姿か、レンタカーの臭いか。毎日通うコンビニのアイスコーヒー。

 

 

2024/7/31

 

窓の外が一気に暗くなって洗濯物いれるとすぐに大雨が降って涼しい風が吹いてきた。XGの新曲をきいて、ファンダムのAlphasに入ろうか、入ってしまおうか、迷っている。メール送ってばっかり。わたしはどこに運ばれていくのだろう、忙しくなってしまった。車に乗って、昨日の勿来の海を思い出す。

2024/7/30

 

FCTAのみんなで勿来(なっくる)周辺のトレイル草刈りをみなで。前日に夏休み気分で勿来海岸の目の前の宿に宿泊。暑さと車の騒音で寝られない目をこすって日の出をみに海岸におりる。この日は雲の出方が絶妙で海と混ざり合う太陽をみてると、時間がとまったみたいであの有名なランボーの詩そのもの。カフカが「なによりも静謐なものが真に普遍的なものである」と書いていた静謐か。猛暑でボロボロになる前になんとか草刈り終了。いくらなんでも暑すぎる。やること多くて悲しい。クーラー導入検討。

2024/7/27

 

仕事でやらかしてへこむ。その上から昨日はゆうくんが夜に来て相談ごとがあるという。むしろこちらが気を晴らすように話していたら飲み過ぎた。朝からたばこ吸って胃がおかしい、昼めしはハルカがかってきてくれたアボカドスムージーのみ。夕方にハルカがヨネとゆうくんを引き連れて絵を描きに来た。外がとたんに暗くなって、部屋の中もしっとりと光がしずんだ。大雨が降り始めカミナリが鳴った。その音はひさしぶりに胸に響いてきて、すこし安らかな気持ちになると、ヨネはもうこの8月には故郷の徳島に帰ってしまえば静かになる。ネモトに夕食の買い出し、雨がやんで雲が割れてきた、ようやく風景が目に映るようになってきた。

2024/7/22

 

雑誌の取材で長野県の奈良井という中山道の宿場で二日間過ごす。音響マニアの先輩方にいろいろ教わる。あおきという中心から離れた宿はクモの巣が張ったリアリズムの宿。一人残った足取りの覚束ないご主人が昔の話をさながら落語のまくらのように見事に語ってくれて、感心してると話が頭に入ってこなかった。風呂の水にぬめりけがあって温泉かと思ってきいてみると「設備が腐ってるから」という返答で感動。塩尻乗り換え、小淵沢からみる八ヶ岳の夕景。帰ってきて、猛暑の新宿。朝のスタバ。

2024/7/19

 

百年祭の実行委員として町長に挨拶。それから特急の日立で東京、新宿からあずさに乗って長々と移動。ビール飲んでる。自分もとなりのおじさんも、みんなパソコンで仕事していて悲しくなる。デジタル機器でどこでも仕事ができて便利になってところで、ますます隙間を埋めるように仕事が侵ってくる。余暇も休んでいるつもりが「疲れた」とつぶやきながら夕食の席につく。古井由吉「書く、読む、生きる」を読めば、この時間の流れは少しも当たり前で動かしがたいものではなくて、その外側に別の時間の流れがあることに気づける。窓の外の柿の葉が風に揺れているのに気づく。助け出してくれる小さな船はいつも言葉だ。

 

2024/7/16

 

頭にハエのようにやらなければいけないことが、いくつもたかってわずらわしいのが、朝起きてすぐそうなので、サーフィンどころではなく一日を始めるのが嫌で布団からなかなか起き上がらない。オールスター大谷のホームランに声をあげたところで、通訳の水谷はいまどこにいるのか。彼のような境遇の人が福島を歩きにくればいいのに。こないだのキャンプの夜から歯が痛くなって、今夜は素麺でも付け合わせのきゅうりでも痛い。明日になれば治っているかもしれないと思って寝るが、それは叶わない。

 

 

2024/7/15

 

もう三連休がおわった。すぎる時間。めまぐるしく変わる天気。毎日たべる食事。会津で食べた馬刺しの定食、りょうくんおすすめのパン屋。車の窓にはりついて離れないアブと川をすぎると飛び立つ鳥の群れが、車内に流れるシドバレットの音楽混ざりあってひとつのイメージをつくった。雨の天神岬のキャンプ、サムギョプサル、何度も傘をさしてトイレにいった。翌朝のカラスとコーヒー。残ったパン。長い打ち合わせして、やどりぎで玉上さんとしらすトースト。移住したばかりの玉上さんは新しい生活がはじけるようで、楽しそうでよかった。ヨネとゆうくんが絵を描きに来て、、その横で流れる大相撲中継。圧巻の照ノ富士。​ハルカのトマトスープ。

2024/7/7

 

トレイルの運営仕事に関わったとたん、歩くときの「逸脱や連想を呼び込みやすい散歩の叙述」のモードから遠ざかって、直線的な言語空間にのみこまれて息がしずらくなり、返答に困って、ただ座っているだけなのに首の後ろが重くなる。疲れたし調子がでない。このズレをどうするか。そう思っていまいちど「ウォークス 歩くことの精神史」を再読。さっそくおもしろいことが書いてあった。

「精神も風景に似ているということ、歩くのはそれを渡ってゆく方途のひとつだということ。新しい考えもずっとそこにあった風景の一部であり、考えることは何かをつくることではなくむしろ空間を旅することなのだと」

 

2024/7/6

 

「関心領域」という映画を、ハルカがみたいというので、助手席に座って、ついて行ってみた。まずは小名浜のカフェでハンバーガーを食べた。広い空間に音がよく響いた。窓の外の景色が寂しくてよかった。
「関心空間」はオッペンハイマーの時に予告編でやっていて「ああ、この映画はこういう映画かあ」と思った、その時の印象が全編みてもそのままの映画なので、つまり予告編だけでよかった。消化不良なので、ノリで続けてシドバレットのドキュメンタリーもみる。ピンクフロイドのメンバーをはじめとした、残された人々の思い出作りのような映画で、いまいちのりきれず。しかし帰りの車で久しぶりに流す「Mad Cap Laughs」。かもしだされる特別な孤独感。はじめてきいてみた次作「Barret」。さらによだれがたれてきそうな力のない声。昆虫の絵のジャケも好き。

2024/7/4

 

一日あけてサーフィン、この日も小波練習日和。小さなうねりがスープになる前にタイミングをあわせて乗る練習。そのまま無理に立たとうとはせずに、波の力を感じながら力を抜いて連れていかれる。たまに膝立ち。ボードに乗る位置を調整して、パドリング中は目線をあげる。ボードが水平になるのを意識すると、波がボードを押して滑り出すように進む。ようやくわかってきた。帰って仕事。なにもしたくないと、干した洗濯物を眺める。風が吹いて、風鈴が鳴る。ハルカの本棚から古井由吉「書く、読む、生きる」とりだしてパラパラ。翻訳の話、昔の言葉は論理の直列さにせかされない、その速度はもっとゆったりして、言葉がたゆたいながら進んでくと、並列的、同時的なものがいっぱいはいってくるという。それをイメージするだけで気持ちが楽になる。そして悲しくなる。夜は百年祭打ち合わせ。前夜祭はフンドシで鮭が遡上する。

2024/7/2

 

​ハルカは朝早くに埼玉に向けて出発。わたしは海岸へ。小波でひとがおらず、練習にはもってこい。うねりから波に乗る練習。全然だめだった。ひどいずっこけサーフィンであきれるが、光はみえたので海からあがる。他の人がいてもびびらず、波のいいポイントに向かってポジションをとる必要がある。そしてあせらず、力を抜いて波の力を感じること。いまPCの脇には韓国で撮ってきた写真がプリントして置いてある。光州で80年に民主化運動の過程で誰かが書いたノートだろうか表紙に控えめに手書きで「自由」と書いてあってそれを撮った。自由という言葉は、自分には2種類にわかれる。ひとつは権力や社会の圧力に抗い勝ち取る自由。もう一つは自分のからだ、枠、自他の境界から抜け出そうとする自由。一方は力を込めて、もう一方は力を抜くこと。一方は自らを硬い表皮で覆って世界からの侵入を拒み、一方は表皮を限りなく透明にして自らを世界に投げだすこと。

 

 

2024/7/1

 

​もうだいぶ前から夏だ。韓国の写真をスキャン、プリントすこし。午後はヨネが来宅、ハルカと油絵描く。ピザに生ハムのせる。向こうの畳の部屋で寝転がってしゃべっている。夜にやっとJAIHOでイ・チャンドン「ポエトリーアグネスの詩」鑑賞。映画がおわって圧倒されてなにも言えず。布団に入るしかない。すこしずつ舞っていたほこりが落ちてくるみたいに気持ちの整理がついてくる。詩はどうしたら書けるのか問題。「チャンシルさんには福が多いね」も詩を書いたことのないおばあさん(しかも文盲だったきがする)が詩をかくシーンがでてくる。「だれもがこころの中に詩をもっている」なんて、常套句は信じることができない。この映画では詩の誕生が偶然の事故のようなものとして描かれているように見える。現実との強烈な摩擦があって、やっと言葉がそぎおとされてでてくる。5月に韓国にいって、胃腸炎になってソウルのホテルで一日腹を下し続けた。ベッドの上で身動きがとれず、もし自分が詩を書けるとしたら、こういうときしか書けないかもしれない、と同じく横にハルカにしゃべった。

2024/6/29

 

イセキのビニールハウスの前にはすでに数人いて、座っておしゃべりしながら大豆の種を苗に均等に並べている。わたしを悩ませるドクダミや電動工具などいろんなアドバイスもらう。そのまま双葉未来学園の学園祭へ。田子くんの絵の個展。感想や批判や言葉をたくさんほしいですといわれても、感想や批判はそんなにすぐに言葉になってでてくるわけではなく、コミュニケーションの応答なんて往々にしてすれ違う。空気の震えをききとるしかない。去年美大受験で相談にのった高校生が学際に遊びに来ていて再開。顔にピアスの穴がたくさん開いていてうれしくなった。頑張れ。夕方はご近所の橋本さんのご自宅にお呼ばれ。寺の境内かと思うくらいの立派な庭園を散歩してご案内いただく。おだやかでやさしい夕方の時間。ハルカといただいた野菜を両腕いっぱいにかかえて帰る。採ったばかりのニラでたまごとじ。

2024/6/27

 

毎日お客さんが来たりトレイルの仕事、めまぐるしい。いまの高校生は「探求」という授業があって、散歩をテーマにしている学生さんと担当の先生とトレイルの話、大きな蜂が飛び回ってきて高校生が大騒ぎをしているところに自動ドアから八木ちゃんが出てきてトレイルの話に加わった。ハチはうまく窓から飛び去って行った。夜は末続からトレイルを歩いてきた知子さんが来宅。カツオとイカの刺身、アボカドと夏野菜のサラダ、キノコの天ぷら。

2024/6/20

 

軽井沢で墓参り。後藤くんが般若心経読んでくれる。みなで山小屋補修工事今シーズンスタート。まるくんが初参加。彼は人生選択の岐路に立っている。焚き火をして、煙に木漏れ日が斜めにさすと、スピルバーグの風景。二段ベッドを作る。楢葉に帰ってくると風呂にはいってアタマをリセット。NPO法人の設立趣旨書を書く。なんとなく書けたきがする。

「ペパーミントキャンディー」は1979年、朴正煕が暗殺されてからの20年を描いた映画だった。世界はまったく変わってしまったが、主人公の彼だけが時代の波をもろに被って前に進めない。あたりまえだが、時代とともに人はみな同じように進まない。この20年はまさに四方田さんの「戒厳」が描いた時代とほぼぴったり重なるので、このタイミングで観ることになる偶然。せいじに教えてもらったJAIHOという配信サイトを登録。イ・チャンドン祭り。

 

 

2024/6/17

 

昨日の夜はハルカとアマプラでイ・チャンドン監督「ペパーミントキャンディー」鑑賞。静かな感動、傑作。人間はひとすじなわにいくわけがなく、ソルギョングのキャラが統一されないのが魅力となって、それはこないだのホン・サンス「自由が丘で」の主人公のモリもそうだし、しかし人間はわかりやすい人格である必要などない。その人の足跡は一貫しているわけがないし、統一したイメージなどまがいものなのだと、それらの映画は言おうとしているように感じられた。映画を浴びた効果か、雨の早朝に寝起きがよく、サーフィンへ。

2024/6/15

ハルカと機材を車に積んで近所のウサミ家の父還暦祝い記念写真を撮影。なんて仲のよい家族で、わたしの家とは全然違う、庭ではバラが咲き誇って、みなで撮った写真をみながら、お祝いのムード。午後は名取トレイルセンターにむけて出発。みちのくトレイルクラブの総会に出席。総会ってこういうやつなのか。勉強。懇親会にでずに失礼する、昼も夜も食いすぎて血糖値があがり、調子狂う。ハンドルを握って流れる音楽も遠く、早く家に着いてほしい。

2024/6/13

自分が関わってる仕事と直接の関係ない、雑多なこと。むしろそこに予期せぬ栄養価があってそれを吸収しないでいると、幅の狭いつまらない人間になる。つまらない人間になるからそうしようというのではなくて、そうしなければ単に生活がつまらないからそうする。それだからわたしはいつもわたしの関心の中心から、目を逸らしたくなる。凝視してはダメで、目を逸らさないと見えないという感じがある。写真もだから、被写体をじっと見ることができない。「向き合う」なんてもってのほか。

東京の西新宿の、けやき並木が見えるスタバで湿気が強くなってきた、曇り空で、アジアの光。NPO作ることになった。わたしが。わたしを知っている人にこの話をすると、みんな笑う

2024/6/8

昨日は北海道や東北を車でまわっていた根津さんが家にきた。これから車で九州の彼女の家までいっていっしょに生活し、来年の一月くらいにはネパールに単身で移住するとか。ヒマラヤ周辺を歩いてまわるGHTプロジェクトをはじめてもう10年になるという。イカの刺身やメヒカリやサムギョプサルなど食う。翌朝根津さんははやくに出ていった。ハルカは大熊未来塾の仕事で外出。家でまとめて写真仕事すすめる。youtubeみてたらBTS11周年のアニバーサリーでかつてのLIVEや貴重映像をあつめた番組が昼から晩までやっていて延々流しながら作業。やはりBTSから放たれる、特別な光。

2024/6/3

5日間にわたって地球の歩き方みちのく版の取材出張、浜通り、中通り、会津をまわる。帰って気づいたらもう6月。遠藤さん夫妻と末続の空き家物件の内見、すえつぎカフェのご主人まで参戦してあーだこーだ。楢葉に戻って、この日は韓国料理の回。チャプチェ、キンパ、サムギョプサル、マッコリ、ソジュがテーブルを彩る。前回から半年がたってKpop界いろいろあった。前回はNewJeansによる地殻変動をこの先Kpop界がどう消化していくか?という時期だった(それでいうと最近のミンヒジン騒動はNewJeansの衝撃が大きすぎて消化しきれなかった結果か)。その直後にジャニーズが出られなくなった穴をKpopアーティストが埋めた紅白があり、日本人がどうKpop界に参戦していくかという動きがいよいよ表に現れてきた、コーチェラにも出演して話題のNumber_i の「BON」などみんなで笑いながら見る。韓国旅の報告も。風邪ひいた。布団の中でおとなしくしている。ポカリ飲みながら恭司さんに青森旅でもらったつげのエッセイ「苦節十年記/旅籠の思い出」読んだり、Netflix「三体」みたり。

2024/5/25

韓国から帰国。5日間のうちに仁川→光州→木浦→ソウルと4都市を移動。光州での5.18民主化セレモニー、ハルカの友人の結婚式、木浦で友人がオープンしたカフェバーを訪問、ソウルでチョンウンスクさんの酒飲みツアーに参加、胃腸炎でホテルで1日寝込んだり、すごい旅だった。本は主にハンガン「そっと静かに」を読んだ。本にでてくる、ベートーヴェンの弦楽4重奏15番の第3楽章は「病より癒えたる者が神に捧げる感謝の歌」という。どうやらベートーヴェンが実際に病から回復して書いた曲だそう。胃腸炎から復活して部屋で流してみた。驚くほど静かな曲なのに4重奏だから層が重なって奥行を感じる、美しい、そしてふつふつと力が漲ってくる。外にでると街の匂いが新鮮。楢葉に戻ると気温が少し下がって、山の上のような気持ちのいい気候。窓を開けて昼寝した。ODA20に道端に生えていた黄色い花をとってきて植えた。それは後で調べたらオオキンケイギクといって特定外来生物であり、罰金の対象、これはまずい。

2024/5/14

朝起きて草取り。ラズベリーの芽がでているのを発見。午後はトレイルイベントのため福島民友さんと打ち合わせ。亜紀さんと、民友さんのみなさん4人も集まってコースをどうしようか賑やか。その後ヤドリギ移動。森くんと仕事終わりのイセキ。この3人が揃うと井出川感が強い。サーフィンの話など。帰ってピーマン肉詰め作る。今日は酒飲まない。韓国準備。持っていく本はハン・ガン「そっと静かに」、イ・セヨン「千年の眠り」、それとホン・サンス「自由が丘で」で加瀬亮演じるモリがいつも手に携えていた吉田健一の「時間」。

2024/5/13

東京からの客人をトレイル案内する予定が暴風雨で延期。うさみは昼前からうちに来て絨毯の和室でゴロゴロしている。外は雨なので、中にいて、何もしないでおしゃべりしている。昼は、ハルカがポーチドエッグを作って、昨日いわきのTEARSで買ってきたパンでハムとチーズのサンドイッチ、カレーの残りなどみんなで食べる。洗濯乾燥や粗大ごみ捨て。折れたサーフボードと古いマットレスを家の近くの清掃センターに持っていくと、下繁岡住人は捨てるのがタダでしかも平日ならいつでも持ち込めるという、とんでもない厚遇。これだけでも移住してよかった。うさみは家にいて留守番、その間にイセキがきている。みんなゴロゴロしている。ラジオからは大相撲中継の音。夜飯を作り始める。とりあえずポテトフライを揚げて、余った食材で生春巻きつくり。みそ野菜炒め。音楽きいたりギター弾いたり、ゴロゴロする。ウサミとイセキは十時過ぎて帰った。

2024/5/12

昨日の薪割りで筋肉痛。ハルカの油絵用のキャンバスを買いにいわきまでドライブ。ネパールインドアジアンストアでバスマティライスとチキンカレーマサラのカレー粉買う。買い出しいろいろ。住宅地のパン屋でパン買う。双葉郡の人は週末に思った以上にいわきまで足をのばしてまとめて買い物をするという。定期的に双葉郡を抜け出して、都市に窓を開く。その気持ちがよく分かった気がする。ヨネが油絵書きに来る。ハルカと窓際で油絵を書いている。ヨネは最近スキズにはまってハルカと話が盛り上がっている。大相撲は金星の大の里。買ってきた食材でカレー。最高にうまくできた。寝る前に「タクシー運転手」観る。演出がくさくて厳しいが、直接描くには強烈すぎる史実にどこまでエンタメをブレンドするのかのせめぎ合いとみる。

 

 

2024/5/9

「戒厳」読了。主人公はフランス映画の卒論を書いて卒業したばかりで、韓国に渡って日本語の教員になった。他の同級生はフランスにいって専門分野の研究を続けたり、最先端の横文字文化の中でそれぞれの活動を謳歌しているというのに、なぜわたしは軍事政権下の韓国でこんなことをしているのだろう、そんな劣等感と焦りを感じつつ、韓国の濃密な現実ーー国家、軍隊、民族とな何か、という問いが身のまわりにゴロっと転がっているこの複雑な現実ーーに圧倒されながら生きる。そんな最中に最新の日本の小説が送られてくる。村上春樹と思われる、読んでみればあまりに隔世の感あり、アメリカ文化に溢れた小説の空気感、に主人公は苛立つ。日本で生活するということは、韓国で主人公が感じたような問いをなかったかのようにし世間に順応して生きることなのか。しかし後になって、久しぶりに訪れたとき、民主化された韓国では村上春樹が流行し、元KCIAの施設だった場所は、すっかり映画学校に再利用されていた。韓国だって忘れていくことに変わりない。(だけど朝鮮戦争は休戦中で、光州事件を描いた「タクシー運転手」が大ヒットしたりBTSでも兵役にいくのが韓国だ)。

わたしは東京から楢葉町に移住した、なぜだろうと考えたとき、韓国でこの主人公が感じたような、目の前の現実の複雑さ、それがいつまでも顕在化してこない東京の暮らしに苛立ちを感じていただろう、それがコロナをきっかけに表に噴出してきた。では移住してみたらそれは変わったのか。どうなんだろう。

小説の主人公が滞在中、朴正煕大統領がKCIAの部長に殺害される事件が起きる。戒厳令がしかれ、あらゆる催しは中止され、街中に戦車が並び、大学は閉鎖。読んでいて安倍首相の暗殺が明らかに意識されてると感じた。あの事件は、朴正煕の暗殺に肩を並べる事件なのだろうか?「わたしは朴正煕という人物を受け入れることはできないが、理解しなければいけないと思った」という台詞が残る。

もう韓国行きは来週、光州事件がはじまった5・18と全く同じ日に光州の結婚式に参加するという事態。どうゆうこっちゃ。「戒厳」を読了して、旅の準備が整ったきがする。

 

2024/5/8

GW終わって、俄かにトレイル関連の連絡があわただしく、すっかりトレイルおじさんになっていくなと、後ろを振り返ってみて、気が遠くなる。頭の後ろが重くなって、面白いアイデアなど浮かびようがなく、ならはCANVASまで歩いていくことに。草や木を指さしながら歩く。穂がたれているのはシデの樹だ。CANVASに森くんがきておしゃべり楽しい。森くんは髪を切りにいくといって別れた。気温が下がったので余り物で鍋、豚肉をしゃぶしゃぶする。夜も打ち合わせ。終わって、すこし食べたりなくて、おじやにする。

2024/5/5

ますます韓国旅行準備のため、四方田犬彦「戒厳」読み進め。朴正煕による軍事政権末期の韓国が舞台。韓国の複雑な現実を複雑なまま飲み込むための小説。映画評論家でもある四方田さんの映画あらすじ解説はお家芸、毎度のこといつも面白くて引き込まれ、どうしてもその映画がみたくなる。「族譜」という映画。風の吹く畳の上に寝転がって、夢中になって読んだ。夕食は中華丼を作って、また読書に戻った。韓国は鏡だ。

 

2024/5/4

ますます韓国旅行準備のため、四方田犬彦「戒厳」読み進め。朴正煕による軍事政権末期の韓国が舞台。韓国の複雑な現実を複雑なまま飲み込むための小説。映画評論家でもある四方田さんの映画あらすじ解説はお家芸、いつも面白くて引き込まれて、どうしてもその映画がみたくなる。「族譜」という映画。風の吹く畳の上に寝転がって、夢中になって読んだ。夕食は中華丼を作って、また読書に戻った。韓国は鏡だ

2024/5/3

​楢葉住民の畑作業に東京からきたハイカー2人が参加。夜はたくさん人がきて宴会。高い喫煙率。家主のわたしが一番最初に布団をしいて寝る。翌日は胃袋が重いが郵便受けを買いに富岡に車を走らせると、橋の下でハイカー2人が歩いているのをみつけて車を降りて手を振った。帰って郵便受けを設置。韓国旅準備少しずつ。参加する結婚式が光州なので、今回は韓国南部、全羅南道中心の旅になる。久しぶりに木浦にいる唯一の韓国人友達に連絡をすると、先月カフェとウィスキーバーを兼ねた店を開いたという、メールであっても遠い友人との再会がうれしい。前に会ったのは7年前だったのか。夜は韓国映画特集「1987 ある闘いの真実」。ハ・ジョンウ演じる検察官が急にでてこなくなるのが、歯が抜けたように気になる。韓国はようやく1987年に軍事独裁が終わるわけだが、光州事件から7年も経っている。ものごとが動くとはそれほど気の遠いことなのだ。

 

 

2024/5/1

朝、涼しいので井出川に購入した土地の雑草を取りに行く、ハルジオンが背をのばして咲いている。ハルジオンを残して、下に生えた草を抜いていく。ドクダミはひとまずそのままにして花が咲いたら、一部を残して刈ることにしようか。ポツポツとハルジオンだけが宙に浮いて風にゆれるのをハルカが映像に撮る。昼はハルカがホットケーキを焼く。ベーコンとサラダが付け合わせ。文章の筋トレ、夜は助成金打ち合わせなど。野菜とたけのこのみそ炒めと湯豆腐の韓国ダレ。

2024/4/30

来月韓国いくのでこれから当日まで韓国映画集中月間。ハルカの友人が光州で結婚式をあげる、そこに参加するわけだが、その日は5月18日であり、それは映画「光州5.18」とあるように光州事件のはじまりの日であり、ちょうど44年後のその日なのだと気づいて戦慄。光州事件といえば「タクシー運転手」ではあるがひとまず置いておいてその前後、パク・チョンヒからチョン・ドファンまでの軍事政権期を描いた中から「KCIM 南山の部長たち」と「殺人の追憶」を続けて再見。どちらもすごい。重たい空気、深いためいき。

 

2024/4/28

ハルカが夜遅くまで地図のイラストを描いていて、それを朝プリントしてボードに貼り付け末続駅マルシェへ。こじんまりした古い駅舎の中をめぐってまわれるお祭り感で多彩な出展者と、一面のつつじが満開のホームに電車がすべって入ってくる。お客さんが降りてきた。金魚すくいに子供が群がって、風船が割れた。ふくしま浜街道トレイルブースを設置。ハルカの絵は評判がいい。遠藤さん夫婦は木戸駅から歩いてきて、末続物件探索。久しぶりに再会した安東量子さんに末続区長を紹介いただいて空き家相談。近くの末続の売り物件をひとつみにいくと敷地に神社の入り口がある面白物件に半袖になる陽ざしとつつじがここでもきれいだった。すごかったのが卒業した写真大学の後輩の方が話しかけてくださったこと。そんなことあるの。

2024/4/26

仕事、作業乱れ打ち。郵便局。税金はらったりコーヒー豆受け取ったり、写真送ったり。やることが次々と湧き出てくる。フォークナー「響きと怒り」少し読んで、草をむしる。ハルカは雑草をきれいにむしりきらないように部分的に残しながらむしる。大切な料理の時間。ハルカが水餃子をつくる。わたしがべーじゃがをつくる。古市さんがきていっしょに食べる。古市さんが帰った。ファミマまで夜の散歩。月はおぼろ。立ち止まって虫の音を録音。カーブミラーに映る我々。

2024/4/25

実家、川崎の宮前平パームハウスという郊外のマンションで行われる八重桜祭りに浜通りの仲間6人で2台の車に乗り込みキャラバン。祭りの終盤、一郎さんが自らの演目の準備で中央の地べたにひとり座り込み、身体を白塗りにしていく、灯油の瓶を脇に配置し、大きく息を吸って吐いた。片付けはすみやかに行われ、打ち上げではみな居場所を失った。翌朝、片付け中で荷物が散乱した部屋には薄い窓の光が入っても暗く、座った礼子さんと老後の話をのんびりとした。他のみんなは向こうの部屋で本棚の本を物色している。みなで郊外の高速道路わきの団地群を散歩、ケヤキの新芽とつつじが満開。その後はなぜかメンバーの実家を聖地巡礼として、鶴見にある麻衣子さんのマンションをみなで訪問。なんとワイルドブルーヨコハマがあった跡地。豪華ででかい、宙に伸びたアイランド、要塞じみたマンションで、みなでわいわい高いヤシの木を見上げた。

2024/4/17

朝早く東京にむかうハルカを駅に送る。念願の燃えないゴミの日。割れもの、使用済電池、つかわないちゃぶ台、などなど。朝はダラダラする。メールいろいろ。ならはCANVASで文章書き、なんとなく形にはなったか。夕方は喫茶ヤドリギにてうさみと亜紀さん来てくれてFCTA助成金についてあれこれ。帰ってひとり夕食。キャベツともやしと牛肉でオイスター炒め。うさみにもらった厚揚げ焼いて、ラディッシュのサラダなど。久しぶりにyoutubeパトロール。コーチェラ、Kpop関連、韓国選挙など.

コーチェラのヘッドライナーはDoja cat。曲名の「Wet Vagina」とかアメリカは露骨だなあとか酒飲みながら。宮脇咲良の成功メンタル。ILLITのアルバムすごくいい。時代はガールクラッシュからイージーリスニングだとか。

 

 

2024/4/16

​何もできない。とりあえず風呂にいく。カツカレー食べたら動けなくなった。起きてきて「構造と力」読み。夕方の葉桜。ハルカと買い物して、末続カフェのカレー買って帰る。

2024/4/15

​長谷川さんとみちのく潮風トレイル、岩手のリアスの半島越えエリア。歩いたのは六日間、山田から船越半島、鯨山、吉里吉里浜、箱崎半島を越えて、唐丹まで130kmほどの歩き旅。よく歩いた。そのまま名取トレイルセンターのTrailDaysに参加してFCTの紹介トーク。いまいち調子に乗れずに終わったがどうだったのだろう。いま帰ってきて、翌朝になって、用事のあるハルカを駅に送って、やっと自分の部屋で机の前に座っている。外は桜が後半にさしかかっている。車の過ぎる音がして、まるで老後コスプレの時間。歩き旅やなんでもそうだけど終わってからこうして振り返る裏側の時間があり、あれはなんだったのか、と振り返りも追いつかないうちに日常の時間に押し流されていく。生活がトレイルばかりになってそこになんとか空気の穴を通そうと古井由吉訳、リルケの「ドゥイノの悲歌」をせめて一日一篇。読んでも印象はおぼつかないから、すぐに消えるのはわかっていて、しかしすこしは近づけただろうかと手を伸ばすのだが。

2024/4/1

​トレイルイベント終わった。たくさんの方々が集まってお酒をのみながらおしゃべりして過ごす時間は、双葉郡の生活ではなかなかみることのできない光景だった。これが喫茶ヤドリギ。きてくれたみなさま、ありがとうございました。PCTハイカーが6人もうちに泊まりにきて、飲み過ぎたが翌日は朝の光の中で草取りしたり、ゆっくりした時間。竜田駅までみんなで歩いて、春の霞んだ空に花が咲いている、まんじゅう買って歩きながら食べた。海を眺めて、末続カフェでカレー。これからは東京に移動、用事をすませたらすぐ岩手に移動してカピタンとみちのく歩き一週間。そのまま仙台の名取トレイルセンターでTrailDaysに参加してFCTの紹介と、難民生活が続く。

2024/3/26

午前にハルカを広野駅に送ってひとり。大山さんのお菓子の工房にチラシをもって会いに行く。会うといつも励まされる言葉と、お菓子をたくさん持たせてくれた。帰って図書館で借りたままの現代詩手帳をパラパラ。しなくてはいけないことがたくさんあるが今すぐにしなくていいようなことばかりなので、庭の草をとったり、したい。今日は大雨と強風。コンビニの駐車場で派手に濡れた。

 

 

2024/3/25

作ったイベントのチラシをご近所の方に配る。とはいえすでにpeatixで予想以上に申し込みがあり、あまり配ってもヤドリギに入れないかもしれない。矢内さんのお宅にハルカとチラシを渡しにいくと、土間で火を焚いて待っていてくださった。コーヒーをいただき、パノラマの窓を開け放ち、庭先に座って、ウグイスが啼いた。二度啼いた。それから横に飛んで行った。それ以外の音はあまりせずに、ここでは音楽をかける必要がない。程よい密度の竹林の枝が風でゆっくり小幅に揺れるのをじっとながめていた。戻ってストレッチと散歩。歩きながらコンビニのフィナンシェとコーヒー。夜はkashiwayaでファッション部の冊子の詰め作業打ち合わせ。みんなで集まって話すと楽しい。

2024/3/24

午前は3/30の遠藤さんPCTハイキング報告会のご近所の方に配る用のチラシ作成、久しぶりにイラレいじる。森くんに赤を入れてもらって修正。いい感じになった。大相撲春場所は千秋楽、尊富士の新入幕で初優勝という前代未聞の偉業を目の当たりに。夜はたまちゃんの選挙開票に立ち会うため、たまちゃんの選挙事務所で、みんなでおにぎり食べたり、甘酒飲んだりしてなごやかに待っていると、たまちゃん当選の報がとどいて快哉を叫ぶ。小さなピンクのだるまに目をいれるたまちゃん。尊富士とたまちゃんが融合して感無量。新しい風が吹いた、忘れられない一日。

2024/3/23

アマプラで映画「怪物」をみた。是枝監督の映画はこれまで数本みて、その度に感じるのは、目の前の社会課題を取り上げるにあたって、その社会課題を前景化するために、その枠にあてはまるように登場人物のキャラが演出、配置、造形されているように見えてしまい、人間が写っていないなあと思うと、今回も「ああ、またこの感じだ」とすーっと気持ちが引いていく。「誰もが怪物になりうる」ところは面白くみれたのだけど、クィアというテーマに関しては、これまでのステレオタイプにおさまっているようで、浅田彰がいう「変態」メタモルフォーゼとしてのクィアを意識してみているとどうしても「その先」がみたくなる。その後少し話題になっていた朝日新聞、是枝監督のクィア鼎談も併せて読むが、映画の内容にはほぼ触れていない印象。気が滅入ってしまい最後まで読めず。

2024/3/22

東京を経由して長野の安曇野へ中林さんに家で使う新しいテーブルを作ってもらってそれを受け取りに行く。ハルカを紹介。わたしが女の人を横にしている、こんなことは十何年もないことなので、まわりがそわそわして待っていて、姿をみるや急に笑われたり変な感じだが、ハルカはその空気の中にすーっと無理なく入っていく。会って早々に中林さん夫婦双方からさっさと結婚しろと迫られた。クリスチャンの中林さんにとって「契約」は重要だから、という理由ばかりではなく、つまり「信じる」ということ。神を信じるのに、神のここがいいからとか、いくつも理由を列挙してからようやく「信じる」などという悠長なことではない。「信じる」とはおそらく突然やってくる。いきなり「信じる」。「信じる」から「信じる」。それは結婚相手でも同じであると、そういうことが言いたいのだと、わたしは理解した。翌日は八郷に住むおじさんの家を訪ねる。ここでもおじさんは結婚について先走りながら喜んで迎えてくれた。花粉がひどい。ユキヤナギとボケが咲く庭。やっと福島の家に戻ってきて、新しくテーブルを設置。もらってきたラズベリーの苗を庭に植える。

 

 

2024/3/18

朝から夜ノ森のななみちゃんの実家の空き地でやる「家開き」に再度音響として、木のテーブルにシンセなど音響機材を並べる。アンプのアダプターを忘れて取りに帰ることになり、不機嫌になる。昨日から「山と道」HCL東北の方々がFCTを歩いていて、家開きにも立ち寄って休憩してくれた。外でシンセの音を出す難しさを再度経験。終わって喫茶ヤドリギでオープンに向けた作業手伝い。電気グルーブの曲を流しながら楽しくやる。夜は三春で買ってきた三角厚揚げを焼いて、ネギを細かく刻み、納豆やフキ味噌をはさんで食う。これ以上のものはない。夜もシンセ鳴らす。モスクワ産シンセLYRA8、これまで不愛想だったのが付き合い方がすこしわかってきた、生きている動物みたい。

2024/3/15

直前の「家開き」音響準備で、シンセやサンプラーいじり。今回は来場者のみなさんにシンセを触って面白さを体験してもらえたらいいなの設定。あらゆる業務で追い詰められた最前線の森くんがやってきて車のドリンクホルダーにコンビニでお湯を入れたカップ麺がささっていて一瞬でそれを食べきると二人で大山さんの野菜直売所で大山さんと30日の打ち合わせ。

3/30(土)はとうとうプレオープンの「喫茶ヤドリギ」にて、福島県伊達市在住の遠藤さん夫婦がアメリカの長大なロングトレイルを歩いた報告会をやります。わたしはいい加減な聞きてを勤めます。詳細申し込みは下記URLよりお願いします。きて。

http://ptix.at/yzC5CN

2024/3/14

父の命日、あれから一年。病室で大相撲中継を流して兄と父といっしょにみた。一年前の春場所はやっとコロナが落ち着いて、声を出して応援できるようになって両国に華やぎが戻った最初の場所だった。そして一年後の今も春場所は賑わっている。確定申告は昨日終わらせた。何もできていない週末に控えた「家開き」音響の準備。ハルカを駅に送る。桜が一部咲きかけている。昼にたまちゃんが迎えにきて富岡町議会選挙に出馬するたまちゃんのポスター張りの手伝いで助手席に同乗。富岡町に住民票を残したまま避難先でいまでも生活をしている人が各地にいて、そこにもポスターを張るボードが設置されている。三春、大玉村、郡山。車の中で選挙のあれこれ話。選挙は仲間の支えが大事なのですね。

2024/3/13

そういえば前の週末はハルカとゆうくんと上野公園で待ち合わせして一泊二日で東京というところを、もはや他人ズラして飲み歩く。ケバブを食い、これまで見たこともない靴を買い、二木の菓子でお菓子を買った。ゆうくんは私と他者について考え続けていて、その対立の脱構築が進まない。翌日は三鷹の水中書店で古本買い。とうとうダイアン・アーバスの写真集。多木浩二「肖像写真」、「ヴァルザーの詩と小品」。翻訳の本も。タイ料理とシンハー。沈丁花やボケの花。帰りの特急でハルカがもってきていた詩集の冒頭の、目に留まって、これは万葉集の句だそう。

  世の中を何に譬へむ 

  朝開き 漕ぎ去にし船の跡無きごとし 

​              沙弥満誓

 

2024/3/11

東日本大震災から13年の3.11。この日は毎年恒例にしようかなという仲間とのFCT歩き。晴れた。つまり花粉。今年は富岡駅から大野駅まで、大熊町役場前の14:46分の黙とうに間に合うように歩く。人が出たり入ったりしながらで15人くらいか。下駄で歩く人がふたり。森くんの足元はドクターマーチン。周辺のお店、富岡バウムや夜ノ森デニムや富岡ワインさんなど寄ってガヤガヤ、夜ノ森ではななみちゃんに会ったし、大熊のセレモニーでは、なすびさんと。MOCAFではhummnusの二人が。小松理虔さんにもようやくご挨拶できた。夜は大熊のみなさんの宴会に参加。うなぎ、鹿、いのしし食う。ひであつさんが「人生には、遊びが必要」と、帰り際にしみじみと話してくれた。帰りのコンビニでは山田さんに偶然会って立ち話。いまは部屋にいていろんな人の声が、顔とともに思い出すと響いては消える。

 

2024/3/6

寒い。確定申告作業。富岡図書館でコピーしてお釣り取り忘れて、さくらモールで気づいて取りに行った。野菜カレーつくる。

アマプラで「国家が破産する日」観る。経済のことは疎すぎてよくわからないが、通貨危機でIMFの介入を受け入れることによって、中小企業を犠牲にする代わりに大企業を優遇し、非正規雇用を増やし、外資が入りやすいように規制緩和を進め、といった事柄は小泉政権の時によくきいた話で、要はアメリカが有利になるように糸を引いているということらしい。とにかく韓国は九十年代でどうしようもなくグローバル化に踏み切るしかなかった、その結果として視野を世界に向けた文化政策が始まり、映画の興隆や今のK-popにつながっていくわけだ。

K-popでいうとルセラフィムの「Smart」は聴いてすぐ好きなわけだが、そういえばこの感じは、とDoja Cat「Woman」にとてもよく似ていることを発見。洋楽に限りなく接近しながら、近づきすぎれば燃えてしまう、K-popはどこへゆく。

2024/3/5

気温低い。ハルカは風邪をひいて寝込んでいるらしい。メールのやりとりだけで時間がすぎる。怒涛の確定申告作業。わりと自分に集中力があって驚いた。ラーメンで汗かきながら「構造と力」を、なかなか進まないが読んでいる。

アマプラで韓国映画「偽りの隣人 ある諜報員の告白」。パラサイトなみに国内では大ヒットしたらしい。主人公が大泉洋に似ている。オ・ダルスの役の幅の広さ。民主化前の金大中の話。どこまでが史実かはわからないが、おそらく真実は想像を超えるだろう。これが民主主義を自ら勝ち取った国の映画であり、日本とは似ているようで全然違う国。次は「国家が破産する日」。

2024/3/4

移住すると、人生がもうひとつ加わったような感じ、と人に話すことがある。SNSに例えるならば、楢葉と東京で別アカウントを使っている感じ。いや、それは違うか、わからない。もう、あんまり誤解とか、どう思われてもいい。気にしなくなってきた。
子供の見守りをして庭を走り回る。ジャンプして回転する。こぶしとシャクナゲのつぼみがふくらんでいる。レオス・カラックス「ホーリー・モーターズ」の、あのゴジラの音楽がかかるシーンみたいに、花をむしってむしゃむしゃ食べてみたくなった。

2024/3/3

よく人に会った。金曜にはわが川崎の実家マンション、パームハウスからいちろうさんと麦が来楢して、ふたりは車で下道をながながと来て、うちについて車をおりた瞬間にチューハイの缶を開けて飲み始めた。夜は楢葉の仲間がきてくれて宴会。いちろうさんの大きな声を麻衣子さんが十二分に受け応えてくれて感動。今でもいちろうさんのそばに麦がいることの尊さをあらためて見る。翌日も麻衣子さんに双葉を案内していただく。二人と別れて夜はなおさんに誘ってもらってなら福で飲み会。めずらしいメンバーでいい話。さらに翌日はたまちゃんに丸一日ディープな川内村を案内していただく。浜通りにはいろんな人が各地にいて、めまいがする思い。山にいくと、春が近づいている。

2024/2/29

朝起きてゲンロンの東浩紀×猪瀬直樹の動画をみて驚愕。人はある時、突然悪魔にとりつかれるときがあるのだ。父のことが思い出された。洗濯、まとめて布団干す。確定申告作業。明日はお客がくるので買い物。冷凍庫に長らく眠っていた、アジとイワシをおろしてフライにする。半年間冷凍していたがまったく問題なし。

韓国映画、アマプラで「群山」鑑賞。淡々としながら複雑で、初見ではよくわからないところばかり。おしゃべりと時間差編集でのサスペンスはホン・サンス感。「自由が丘で」にもでていたムン・ソリの、こういう役が絶妙。音楽がないぶん耳が音にきづく。やかんの湯が沸いて、飛行機が通過、風が強く吹く。

2024/2/28

​福島に帰ってよく寝たので、あわただしくいろいろ。打ち合わせで近況報告、写真集の話もようやく再始動。

こないだここに書いた、カフカの引用。いまこの地方に移住して感じはじめているリア充感はしかし、なにかがおかしいのではないか。大きな悪魔にとりつかれたことで、続けて小悪魔が群がりはじめているとは確かに、そんなきがしてくる。いま、不安定な気持ちの夜に、ポリタスの韓国映画特集をみながら、紹介された35本をリストにして書き出す作業。韓国仲間に送信。わたしはなにをしてるんだろう。

2024/2/26

ハルカが打合せの間、吉祥寺で買い物。グラスやコーヒーカップ。古本屋〈防波堤〉にて、磯崎新「造物主議論 デミウルゴモルフィムス」やマーク・ロスコの展示図録など購う。武蔵小金井の小金井アートスポットでハルカが半年間にわたって企画に携わったワークショップの参加者による最終展示をみにいく。特に導かれる方向がないせいか表現に慣れてない人々は混乱してねじれ、その格闘が、崩壊間際にもはや作品ともいえないような形ならざる形をギリギリ保ってここにある、そのような印象。ああ、このようにして表現とは人々の前に険しい壁となって立ちはだかる。こうしてみていると、ワークショップの参加者は救いを求めてここにやってきたのではないか。何か満たされないものを、表現が新たに肯定してくれる、その可能性に身を委ねようと。。そんな切実なドキュメント。

夜は西新宿でおいしい焼き鳥。マスターと呼ばれる男性は病気をして、右腕が動かず、カウンターの前に立ってビールジョッキを片手に配給係。鳥出汁のよくきいた雑炊で寒い夜にあたたまる。ようやく福島に帰る。

 

 

2024/2/25

東海自然歩道のイベントのため、名古屋へ。大勢の人としゃべりまくる三日間。前夜祭の焼き肉屋では、高校生になる相澤さんの娘のこことK-popについてずっと話す。彼女は去年の紅白をきっかけにK-popに興味を持ち、スキズのメンバーを覚えて動画を漁り始めたところ。当然まわりはハイキングの話をしているわけであるが、ここは焼き肉屋でもあって、K-popの映像も流れているのであるが、おそらくわれわれ二人を除いて誰もK-popをきいていないのだと思う。これは何か異常な事態ではないのか??ということで名古屋までわざわざかけつけてくれたハルカは、こことスキズの話で意気投合。連絡先を交換して、コンサートに行こうと約束を交わしていた。

2024/2/20

トイレにはカフカ「夢・アフォリズム・詩」が置いてある。Aとは今のわたしのことのような、以下の言葉。

Aはひどくうぬぼれている。彼は善において大いに発展するところがあったと信じているのだが、それは、自分がどうみてもますます魅力的な対象として、彼がこれまで知らなかった各方面からの誘惑に、ますますさらされていると感じているからだという。しかしこれを正しく解説すればこういうことだ、一匹の大悪魔が彼に取りついたので、おびただしい群小悪魔どもが大悪魔に仕えるために集まってきたのだということ。

2024/2/19

hummnusの話のテーマに残滓(ざんし)という言葉がでてくるので、ヨネさんに「残滓という言葉をきくと、心がときめきます」と伝えるとヨネさんも私もそうですと言った。残滓とは何かの生産の過程で出る残りカスでのことで、再利用すらも不可能な、役にたたないが、ではそれだけでよいかというと、なんでもありになって、茫洋としすぎる。残滓にはある「佇まい」が必要で、わたしはそこに「愛嬌」という要素を加えたい。それは例えば、犬の糞を木の枝に刺して笑いながら走り回るアラレちゃんの姿が浮かぶ。残滓にはムードがあるのだ

2024/2/14

よく眠ることにより、突然炎のごとく仕事が進む。歯医者、銀歯の詰め物をもとの位置におさめる。新たなテーブルの図面を描いて発注。確定申告の準備もはじめ。新しくラックを導入してスキャナーとシンセの位置関係をあらため、写真をスキャンしながら同時に音を出して動かす作業ができるようになった。いくつもの作業が同時に進んで互いに干渉しながらぐるぐるとまわりはじめ、ジャングルみたいなカオスのテーブルにわたしの自意識も巻き込まれて散り散りになったらいいのに。

2024/2/13

いろんなことがあって毎日が過ぎていく、かけがえのない時間だがそれを忘れないようにここに書き写すのではない。忘れたくないことはあるが、たとえ忘れても忘れてることに気がつかないのでかまわない。だからしばらくここに書かない時間が続いて、その間に何があったのか今思い出してみたのだが、それを列挙しようとして、いつも投げ出してしまう。長いこと書いていると、なんで書いているのかも問わなくなった。水彩のような色の薄い絵具を使って、色が重なるところと重ならないところがあって、塗り重ねていくうちに、ぼやけた水面みたいなイメージができあがっていく、そんな感じにんなるといい。生きていく時間の複雑さ。いま知らないスーツのおじさんが目の前から歩いて遠ざかっていく、その背広の肩の部分をぼーっと見つめていると、光の中に消えていった。いとしい、わたしに関係のない人達。

こないだハルカがワインを飲みすぎて、突然トイレにこもって出てこなくなった。何度呼びかけても大丈夫、もう少し待って、と言い続けるのでその間にトイレのすぐ横のモノが散乱している倉庫部屋の整理をはじめたら、興に乗ってどんどん進んだ。それまで放置していたのはなぜだろうと思うほどに、手をかければすぐにだって事態は動きだす。定期的に名前を呼びかけるが、もうすこし待ってとしか返ってこない。そのままでは寒くて凍えてしまうのではないかと心配になり、頃合いをみて強引にでも外に出さねばならない、などと自分にいい聞かせながら、整理はますます進んで、ようやく床があらわになってきた。

2024/2/6

ハルカといわきいって大きなサンドイッチを分けたり(ポリアモリーについて話した)、銀行で税金払ったり。図書館もいく、新潮の最新号、浅田彰の「構造と力」が、刊行から40年たってはじめて文庫化されるそうで、そのタイミングで文章を寄せている、最新号はコピーできないので椅子に座ってじっくり読む。クィアを「変態」と訳している。クィアはヘテロも含みこむふところがある。だからわたしもクイアとして生きていくことができる。「変態」とは奇妙なという意味に限らず、メタモルフォーゼの意味も重なっている。「何者であるか」ではなく「何をするか」が問われるべきだ。と丸山眞夫はいったらしい。ラベルが問題なのではないということ。それが今のアイデンティティ・ポリティクスを乗り越えて生きる術になると。
読んでいると光がぴかーんとなったような気がして、隣で仕事しているハルカに読んで聞いてもらう

2024/2/1

東京へ。兄と実家の整理。台所のたまった調味料をすべてバケツにつっこみ水で薄めて流す。本棚や使えそうないいものを西新宿の部屋に運び込む。仕事終わりのハルカを武蔵小金井に迎えにいく。ロータリーには入れず、細い脇道に駐車。3週間ぶりの再会。向こうからロングコートのハルカがみえて、頭おかしくなるかとおもった。翌朝は建築家と楢葉の土地について打ち合わせ。これまでの経緯を話すと建築家から想像しなかったアイデアがでてきて、これが実現したらえらいことに。兄夫婦にも手伝ってもらって部屋にニトリのベッドを搬入、組み立て。西新宿を歩くとさらに再開発が進行。中央公園はいじくりまわされ、スカスカになった森には余計な光が入り込んで、浮浪者は消えてしまった。腹が立ってきて、もはや東京がどうなろうとわたしには関係がない。

2024/1/28

さすがに休む。大相撲千秋楽をゆっくり観戦。もう錣山さんはいない。阿炎の背中が小さく見える。北の富士さんも戻ってこないのだろうか。終わったら荷物をまとめて東京へ。

思い返してみればファッション撮影会の実際に手を動かして現場をつくっていたのはほとんどが女性。服をつくるのも、メイクをするのも、撮影するのも、現場のご飯をつくるのも、これから冊子をつくってまとめるのもみんな女性。男はどうふるまっていいのかわからないのか、若い人でも関係なく、これほど性の境界は強く働いている。わたしは子供のころから女の子になりたかったからこうして女の子たちに囲まれてメイクをしたりスカートをはいたり、マニキュアを塗ったり、おしゃべりして、特別な席に座らせてもらって、想いが叶った。もう忘れようとされていた願いが今になってこんな形で実現した。今日も運転しててもパソコンのキーボードを打ってもマニキュアが目に入って、マニキュアに守られてるような気がする

 

 

2024/1/27

​ファッション撮影会当日。メイクでいろんな人に顔をさわってもらって、コンタクト入れてもらったり、人肌があたたかくて、子供の頃の包まれてるみたいな安心感。こんなコミュニケーションがあるのなら人は生きていけると、もっとやればいい。みなみが体調悪かったけどなんとか間に合って、真剣に楽しんでメイクしてくれた、ありがとう。音楽が鳴って、たくさんの人が部屋を行き来して、最後の撮影が終わると拍手が鳴った。またkashiwayaでみることができた新しい景色。沢山の機材を車につめこんで、たばこ吸う。マニキュアだけそのまま。

2024/1/26

日曜日のファッション会に向けてお肌のコンディションをよくするために数日酒をひかえる。ストレッチして深呼吸。炭酸水を飲む。東北のフィルムを現像に送る。今日もとてつもない強風がわたしの行くてを遮ってくる。邪魔なんだよ。

ファッション会に向けてkashiwayaでわちゃわちゃ。バック紙広げてカビの生えたストロボ引っ張り出す。スピーカーから音楽流してライティングテスト。Kpopを経由して洋楽にも射程がのびてきた。Doja Cat「Say So」が3年前にブームになっていたことなんて知らない。ネットによるパラレルワールドは現に存在する。そして今になってわたしの耳に運ばれてきた、身体が骨抜きになって潤うような、なんて素敵な曲だろう。

2024/1/25

午前、いわきの形成外科にかおりさんとウサミと集合、3人みんなでピアスを開けにいく会。わたしは軟骨に開ける(位置でいうとヘリックスというらしい)せいで麻酔を打たれたのでまったく痛みどころか開けてる感触すらない。せっかく身体の一部に穴をあけるのに痛みがなくて、そんなことでよいのか。午後はたまった事務処理多数。最強寒波で山から雪が散ってくる。合間にアマプラでSun Raの映画「Space is the Place」。黒人にとって厳しい社会状況にもかかわらず、貫かれる楽観さに感動。とにかく音楽があなたをもうひとつの運命に導くのだ。乾麺のうどん、出汁も取って丁寧につくる。ハルカは仕事が正念場でしばらく会えない。おいしいものを一人で食べてると寂しい。メールを送るとタワマンの間に月が白く光る写真が送られてきた。
さらにアマプラ「カードカウンター」もレンタルであがってたのでこちらも再生。大傑作。フィルム時代にはなかったこのひんやりと乾いたトーンがなんともリアルに感じられて、それでもぎりぎりで絶望に終わらないラストに震えた。

2024/1/24

東浩紀が初めてスポーツ新聞から取材をうけてその内容がうれしかったと、普通の人間として書いてくれたことがうれしかったそうだ。思想家という気難しそうなイメージとは裏腹にマックでバイトしてたり酒飲んでカメラの前でいえーいとかいってはめをはずしたりするので、一般人とそう変わらないのが親近感があって好きだった。それだけで信用できるというもの。思えば90年代から2000年代はじめにかけて写真学生の頃、極端な偏愛を主張して変なやつでいることが表現にたずさわる人間の条件のように思われていた。そのせいで競って変なやつをみなで演じていた。本当に変なやつはほとんどいなくて、たいがいが演技であるからいずれ無理が生じて、みんな色んな症状を発症させていった。美大出身者たるもの社会と距離を隔てた変人でなければならない、というわけで、そういう時代。それが最近の若い人に会うと変な偏りがない、解放されていて、さわやか。物足りないと思う時もあるけど、むしろ開かれていて自由を感じる。大谷や藤井壮太のように、最近の天才は変人じゃなくなったという記事もみた。かつては天才といえば変人という物語で語られたのが、今は健康でくったくのない明るい天才なのだ。
振り返れば同じく無理をしていた人間であるわたしは、地方に移住してようやくモードが切り替わってきたか、精神の整体作業が進んできたのだ、もともと普通の人間なので(そういうとまわりに否定されるけど)、ようやく普通にふるまえる時がきたと思えば、気分がいい。

 

 

2024/1/20

青森撮影旅、途中恭司さんミカさんせいじと合流。とてつもない強風で三脚をにぎる指がちぎれるかとおもった。せいじが運転して車がすべって雪に突っ込みもう終わったと思った。夜の寒さにとりのこされながらなんとか近所の方のスコップで雪をかきだす。最後はトラックに引っ張り出してもらい、せいじは金を払う。車のアンプが暴発してノイズが止まらなくなり、恭司さんは大事な機材がきがかりで宿まで歩いた。翌日、ノイズを録音して後、車はなんとか応急手当をして気温もあがり、海辺に鳥の姿を探しておだやかに進んだ。最終日はみなで三沢から反対の日本海側、鯵ヶ沢へ。崩れたいか焼きの看板を恭司さんが撮影。ミカさんはテープで海の音を録音。ミカさんから次の移住ステップは鯵ヶ沢だねと言われた。最後に入った素敵な店主の喫茶店は暖炉がきいていて電波が入らず、大きなバタートーストをみなで分けた。

2024/1/13

東北撮影旅3日目。能代から北上して青森に入り鯵ヶ沢までやってきた。夕方から雪が吹ぶいてきて日本海の景色。青森に入るととたんに家々の表情が変わって風景が厳しくなる。車をおりてパシャリ。八代亜紀が亡くなって、演歌も遠くなっていく、逃げるようにさすらう東北はもうないのか、と恭司さんとメールのやりとり。温泉で39度の湯につかると浸透圧が等しく近づくのか、意識が外に流れるような心地。

 

 

2024/1/10

洗濯。りょうくんから買った豆でコーヒー。ハルカと付き合うことになった年末からずっとアタマがふわふわしている。こういうことはこの日記をはじめてからずっとなかったことなので、記録のためにも思ってることをそのまま書いてみたいけど、書くとバカみたいになってしまうので。バカみたいになればいいのだけど。
ピアス穴の形成外科に予約をいれる。サーフィンのウェアについてまるくんと電話。道の駅でラーメン。テレビから能登
の現状、厳しい避難生活が続いている。うちに来ればいいのにと思うが距離が遠い。わりに近い人の家に泊めてもらう、そういうことも難しいのか。ならはCANVASで仕事を少し。帰って明日からの青森撮影旅行準備。ホテルを予約。宿泊先のフレグランスにするため、久しぶりにアトマイザーに香水を注入。もっていく本も選ぶ。冬にききたい音楽があるように、冬に読みたくなる本がある。

2024/1/8

​ハルカが仕事で楢葉にきているので夕方にCANVASで合流、買い物して帰宅。動画をみながらハイボール。XGからTLC、スヌープドッグを経由してBTSの動画をみてるともうすぐに深夜。翌日はkashiwayaでみんなと新年の挨拶を交わして身体を採寸したり、スカート履いたり。夜はウサミの実家でパーティー。夜になると雪が降ってきたので外に出ると街灯のまわりで雪が斜めに勢いよく舞っているので、走り回って雪を投げる。雪が口の中に入った。

 

 

2024/1/5

​昨日はおじさんの家で正月、兄はインフルエンザにかかったらしく体調最悪、病院にいってタミフルをもらう、診察の間に姪っ子と散歩しながら背の高い枯れススキで遊ぶ。駅に送る車でニュジをいっしょに歌った。楢葉に帰って翌朝、インボイスの登録番号が届いたので請求書乱れ打ち。振込、洗濯、そうじ。布団も干す。バッテリーがいかれたデリカ、保険のロードサービスに来てもらって長い時間をかけてなんとかエンジンを始動、そのままガソスタでバッテリーを交換、やっと復活。買い物、灯油を補充。地震の速報を確認、ポリタス津田大介による大変貴重な現地報告に目を見張る。

2024/1/1

​寝不足だったのでだいぶ長いこと寝た。初夢は見ず、あるいは忘却。とりあえず久しぶりにギター。年越しの準備がまったくできず、スーパーはすでに元旦で閉まっている。コンビニで買えるもので補っておでんカレーつくる。実家から運んだ本棚の整理。アマプラでBTSの釜山ライブみながらハイボールやるとどんどんいってしまう。もらった本ハン・ガン著「そっと静かに」読む。地震。

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